2016.10.11 06:22|本|
たまには最近読んだ本をご紹介しますね〜。
今日紹介する本はこちらです。
奥田透 著
三つ星料理人、世界に挑む
ポプラ社


大の野球好きの父の影響で、小学校からソフトボールを始め、キャッチャーだった奥田透氏は、壁に座布団を重ねて盗塁阻止の練習をしたりと、子供ながらにハードな練習もしていました。
かなりの努力家で、小学校高学年には地面にかかとをつけて歩かない、テニスボールを握り続けて握力を鍛えたり、湯船につかる時はタオルを使って手首を鍛える、など少しの時間も無駄にしないようにできる限りの努力をしていました。
しかし、小さい頃から無理をし過ぎ、右肘を痛めてしまい野球を断念しました。
何かスポーツを続けたいと思って、高校から始めたサッカーでしたが、初心者だったためマネージャーをやらざるをえなくなり、目標を失い何もする気も起きなくなってしまいました。
そこで、環境を変えれば、何かが変わるかもしれないと思った透氏は、夏休みに仙台の親戚のもとで過ごすことにしました。
まぐろの仲買をしているおじさんの手伝いして、一気に魅了されていきました。
その後、親戚のお姉さんの結婚相手が、地元の福助という居酒屋の料理人ということで、早速お手伝いをさせてもらうようになりました。
そこでみた魚をさばく鮮やかな手つき、腕一本で生きている職人にかっこいいなという憧れを抱き、やがてそれは目標になりました。
高校卒業後、どうせやるなら静岡一すごくて、厳しい親方の店で働きたいという思いをいだき、割烹旅館 喜久屋で住み込みで働きました。
負けん気で先輩たちに、教えて下さいと食らいつき、少しずつ技術を身につけていきました。
父親がよく言っていた言葉があります。
『レギュラーをとれなくて、試合でベンチを温めていたとしても、いつ代打のチャンスが来るかわからない。いつよばれてもいいように、バットを振って準備しておく選手になれ。そういう姿をみると、監督も使わざるを得ないもんだ。黙って座っていたら、いつまで経っても出番はこない。出番は自分でとりにいくものだ。』
仕事も同様で、「自分から取りにいくもの」と奥田氏は思いながら、常に行動をしていたそうです。
その結果が、銀座に立ち上げた「銀座小十」がミシュラン三ツ星になり、その後オープンした「銀座奥田」も二つ星を獲得するなど、日本を代表する気鋭の料理人として活躍することにつながっているのだと思います。
この本には、さらにその後のフランスへの出店への話も記述されています。
ご興味あるかたは、ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
さて、チャンスというのはどこにあるのかわかりません。
もちろん、農業でも、花の業界でもいっしょだと思います。
いつどこで、チャンスが巡ってくるかはわかりません。
でも、少なくとも小さなチャンスが来た時に、すぐにヒットが打てるように、ヒットが打てなくても選球眼を鍛えてフォアボールでも出塁できるように、それでもだめなら足を鍛えて、振り逃げでも出塁するくらいの気持ちを持って、つねにバットを振っておく、ボールをよく見ておく、走り込んでおく、そうした準備を松原園芸でもコツコツと続けていきたいと思います。
もちろん、私は野球選手を目指しているわけではないので、それぞれの例えを花の仕事に置き換えてかんがえれば、いろいろな準備を整えておけると思います。
レギュラーでなくても、チャンスをつかめる力はつねに磨いていきたいものですね〜!
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三つ星料理人、世界に挑む
ポプラ社
大の野球好きの父の影響で、小学校からソフトボールを始め、キャッチャーだった奥田透氏は、壁に座布団を重ねて盗塁阻止の練習をしたりと、子供ながらにハードな練習もしていました。
かなりの努力家で、小学校高学年には地面にかかとをつけて歩かない、テニスボールを握り続けて握力を鍛えたり、湯船につかる時はタオルを使って手首を鍛える、など少しの時間も無駄にしないようにできる限りの努力をしていました。
しかし、小さい頃から無理をし過ぎ、右肘を痛めてしまい野球を断念しました。
何かスポーツを続けたいと思って、高校から始めたサッカーでしたが、初心者だったためマネージャーをやらざるをえなくなり、目標を失い何もする気も起きなくなってしまいました。
そこで、環境を変えれば、何かが変わるかもしれないと思った透氏は、夏休みに仙台の親戚のもとで過ごすことにしました。
まぐろの仲買をしているおじさんの手伝いして、一気に魅了されていきました。
その後、親戚のお姉さんの結婚相手が、地元の福助という居酒屋の料理人ということで、早速お手伝いをさせてもらうようになりました。
そこでみた魚をさばく鮮やかな手つき、腕一本で生きている職人にかっこいいなという憧れを抱き、やがてそれは目標になりました。
高校卒業後、どうせやるなら静岡一すごくて、厳しい親方の店で働きたいという思いをいだき、割烹旅館 喜久屋で住み込みで働きました。
負けん気で先輩たちに、教えて下さいと食らいつき、少しずつ技術を身につけていきました。
父親がよく言っていた言葉があります。
『レギュラーをとれなくて、試合でベンチを温めていたとしても、いつ代打のチャンスが来るかわからない。いつよばれてもいいように、バットを振って準備しておく選手になれ。そういう姿をみると、監督も使わざるを得ないもんだ。黙って座っていたら、いつまで経っても出番はこない。出番は自分でとりにいくものだ。』
仕事も同様で、「自分から取りにいくもの」と奥田氏は思いながら、常に行動をしていたそうです。
その結果が、銀座に立ち上げた「銀座小十」がミシュラン三ツ星になり、その後オープンした「銀座奥田」も二つ星を獲得するなど、日本を代表する気鋭の料理人として活躍することにつながっているのだと思います。
この本には、さらにその後のフランスへの出店への話も記述されています。
ご興味あるかたは、ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
さて、チャンスというのはどこにあるのかわかりません。
もちろん、農業でも、花の業界でもいっしょだと思います。
いつどこで、チャンスが巡ってくるかはわかりません。
でも、少なくとも小さなチャンスが来た時に、すぐにヒットが打てるように、ヒットが打てなくても選球眼を鍛えてフォアボールでも出塁できるように、それでもだめなら足を鍛えて、振り逃げでも出塁するくらいの気持ちを持って、つねにバットを振っておく、ボールをよく見ておく、走り込んでおく、そうした準備を松原園芸でもコツコツと続けていきたいと思います。
もちろん、私は野球選手を目指しているわけではないので、それぞれの例えを花の仕事に置き換えてかんがえれば、いろいろな準備を整えておけると思います。
レギュラーでなくても、チャンスをつかめる力はつねに磨いていきたいものですね〜!
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